ヨット
我が子にコンサータを飲ませることを相談したときに、絶望したように反対した夫が言った言葉がありました。
「クスリなんか飲ませる必要はない」
「そんな障害があるのだったら、とてもヨットなんかできないじゃないか」
そう。子ども薬を飲み始めたのは、そのヨットを習い始めた頃で、ヨットを習わせるのは夫の夢でもありました。
風を読み、瞬時に艇を向かわせる方向を決めてロープや舵を操る必要のあるヨットは、AD/HDだなんて障害のある子には、とてもできない。
夫は、そんなことを考えていたのでしょう。
あれから半年が過ぎて。
コンサータを飲みながらヨットを習い、レースにも出られるようになり、今、私たちがはっきりと言えることは、、、
AD/HDの子でも、薬がうまく効けば、ヨットでも何でもできる。
もちろん、ロープワーク(ロープを結んだり、束ねたり)は下手で、なかなか上手にできません。
でも、落ちついて説明を聞く事ができなかった子どもが、落ち着いて話が聞けるようになりました。
少しのことで癇癪を起していた子どもが、穏やかに過ごせるようになりました。
薬は、効く子と効かない子がいるようですが、うちの子の場合には、飲むことでやれることが増えました。
今度はグローブ
ゲーム機を手にして喜んでいた我が子ですが、そのうち、ゲームをクリアしてしまうと、次々別のソフトの体験版をダウンロードし、それも制覇してしまい、、、。
出て来た言葉が
「おかあさん、グローブ買ってくれないかな」
でした。
学童で野球をするのに、ボールを素手でキャッチするのが痛いのだと言います。
みんなは、グローブをしているし・・・。
(だったら、優勝のご褒美は、最初からグローブにしておけばよかった)
と思いつつ、子ども用と、自宅で夫とキャッチボールができるようにと大人用も含めて買いに行かせると・・・。
結局、ゲーム機を買ったときと同じ位のお金が跳んで行くことになりました。
もちろん、子どもは早速、夫相手にキャッチボールをして大喜びです。
ゲーム機をひとりでやってるだなんて、つまらないのです。
まぁ、一つ正解だったことがあるとするならば、子どもにお友達と遊ぶときにゲームは持って行かない、と約束させておいたことでしょうか。
薬局を変えてみる
コンサータが特殊な薬であり、扱っている薬局が限られているとは知らされていました。
だから、最初の処方のときに
「この近辺で扱っている薬局は、、、」
と紹介された所に自立支援の登録をしたのですが。
その薬局から帰る途中、以前ウチの子がかかりつけにしていた小児科があり、そのすぐそばの薬局で何度か処方してもらっていて、ふと
「ここでコンサータを扱っていないかしら?」
と思い、訊いてみると
「何mgでしょう?」
「1回の処方は、何日分位ですか?」
と聞かれ、薬の量と処方日数を答えますと
「はい。大丈夫ですよ」
と優しいお返事がいただけました。
新しくて、小さい薬局なんです。
あまり混んでいない上に、FAXでの受け付けや、時間外の受け取りにも応じてくださるというので、登録を変えてみることにしました。
早速、薬局の規模で加算される点数がなくなり、数十円ですが自己負担が少なくなりました。
駐車場が目の前に完備なので、提携のコインパーキング等に駐車する必要もありません。
待ち時間も少ないんじゃないかな。
ゲーム機を与えてみる 2
その後の子どもは、ゲーム機を破壊されたら大変なので、今までになく聞きわけが良く
「あとどのくらいで終わる?」
と訊くと、この場面が終わるまでとか、あと〇分とか言って、その時にはゲームをパタンと閉じて
「はい!やめました!!」
と言います。
よろしい。ゲーム機で遊びたいがためにルールを守るなら、それでいいじゃないか。
それで褒めらて、本人も楽しくて。親もラクで。
こういう子を育てるのは人一倍エネルギーがいるから、臨機応変にラクな手段を考えるのは大切なことなのではないかと思いました。
ちなみに。
私は子どもを叱るときに、長くお説教をすることはせず、1発ドカンと怒鳴って終わりです。
ゲーム機を与えてみる
私の知る限り、AD/HDの子は上手に育てないと自己肯定感や自尊感情が育ちません。
逆にいえば、AD/HDの子が「自分は捨てたものではない」と自分なりに胸を張って生きていける人になってくれれば、その子育ては成功と考えて良いのではないかと思っています。
さて。我が子を見ていると・・・
最近「欲」がない、ということに気が付きました。
そういえば私も幼い頃から「向上心がない」とか、大人になってから「欲がない」と言われることが多くありました。
自分が誰かに勝つこととか、高い評価を受けることを、特別嬉しいことだと思わないのです。
そして、それと同じような感覚が我が子にもあるのだとしたら、それはちょっと工夫が必要なのではないかと考えるようになりまして、、、。
「あのさ。今度、動物園のふれあい広場でチャボをつかまえて抱っこできたら、ニンテンドーのゲーム買ってあげる」
と冗談を言ってみました。
我が家は、ずっと子どもには電気で動くおもちゃを与えずにきましたから、ゲーム機なんかとんでもない話です。
「どうせハツカネズミも触れないんだもの。チャボなんて無理に決まってる」
と思っていたのですが、いざその日になると、子どもは朝から早く行こう、早く行こうと私に言います。
着いてみると、今月からふれあいコーナーは入れ替え制になっており、整理券がないと入れません。
「次の整理券配布開始時刻は〇時です」
ヒー。20分待って整理券をもらい、その券で入れるのが更に遅い2時間後です。
家族連れで座るベンチもない中、ひたすら待ち、ようやく順番が来たのですが・・・。
チャボの前の第一関門。モルモットがつかまえられません。
背中から前足の付けあたり、脇の下に手が入れられればモルモットは暴れず捕まえさせてくれるのですが・・・。
「んーーー。えーーーーっと。んーーー」
手を出そうかどうしようかと悩んでいるうちに、モルモットがひょいと向きを変えてしまい、別のモルモットを捕まえようとすると、またビクビク悩んでいるうちに横を向かれてしまい。
そのうちに制限時間の20分経ち、入れ替えの時刻となってしまいました。
慌てる子どもに、もう1枚、次の次の回の整理券があることを伝えると、
「ねえ、チャボはナシにして、モルモットとネズミだけじゃだめ?」
と食らいついてきます。
交渉の末、チャボは尻尾の先でもどこでも、一瞬でいいから触ればOKとし、あとはモルモットの抱っことネズミを掌に乗せることになったのですが・・・。
待つだけでも大変。そして、2回戦も簡単にはいかない。
結局、私も手伝いながらギリギリのところでクリアさせたところ、
「お願いだから、約束通り買って!」
ときました。
お店に見に行ってみると、ちょうど本体だけを買うと無料でソフトが1つダウンロードできるキャンペーンをやっていて、いろいろ約束をして買うことにしました。
1.もうガチャポン等の無駄なおもちゃはやらない
2.しばらく通っていた駄菓子屋さんにも行かない
3.家からは絶対に持ち出さない(友達とゲームで遊ばない)
4.やる時間を決めて、守れなかったら私が没収または破壊する
5.勉強(宿題)、手伝い、歯磨き等の身の回りのこと等をきちんとする
1と2は、少なくともゲーム機分のお金が浮くまでは禁止、ということにしてみました。
そして、その夜にゲームを使えるようにし、翌朝からゲームを初めてみますとどうでしょう。
「〇〇をして!」
と声をかけると、必ずその試合が終わったところ等でパタンと閉じてすぐにやめます。(すぐにやめないと、私に破壊されます)
そして、パタンと閉じて次の行動に素早く移ると、私が褒めます。
「あれ?いつも、こんなに褒めてたかな~???」
そうなんです。頑張るためのきっかけになっているのです。
「もしかして、これもアリかな~???」
これまでずっとアナログの世界で遊んできたので、外遊びや友達と走り回って遊ぶのが大好きです。ボードゲームや将棋等も喜んでします。
AD/HDという、人一倍褒められた記憶が残りにくい特性があるとするならば、ゲームをパタンと閉じるたびに褒められて、生活も快適になるのなら、それでも良いのでは、と思うようになりまして・・・。
今日も、
「ちゃんとゲームをやめて、やることやって、歯磨きもできたね♪」
と言いながら、カレンダーに貼るご褒美シールを渡しました。
しばらく様子をみてみようと思います。
大人っぽくなりましたね
我が子がコンサータを飲むようになって、3ヶ月位が経ちました。
その直後も、最近も、言われることがあります。
「なんだか落ち着いて、大人っぽくなりましたね」
はい。クスリ飲ませてますから。
そして、そう話すと、
「安定剤のような脳を落ち着かせる薬ですか」
と聞かれます。
「いえいえ。飲んでいる薬は、脳の働きを抑えるのではなく、ちゃんと伝達していない脳内の物質を伝達しやすくするクスリなのです」
と答えると、更に驚かれるのですが・・・。
脳の中でちゃんと伝わるべき情報が伝わっていないから、約束やモノを忘れたり、周囲の状況が目に入らず喋りまくったりする。だから横からトントンと肩をたたいて教えてやるように、薬を飲ませて伝わりやすくしてあげる。
そのことで、親子喧嘩は激減し、子どもものびのびと過ごせるようになったのだから、私はこれで良かったと思っています。
もしかしたら、将来、何かのことで薬の影響が出てくるかもしれない。
でも、例えば私が精神科の薬を飲み続けていることで普通の社会生活ができているのですから。
ウチの子の場合、薬を飲むリスクよりも、飲まない場合の二次障害の方が大きそうです。
発達検査の結果
子どもの受けた検査の結果が出て来ました。
1時間にわたり詳細をうかがって新たにわかったことは、、、
ただのAD/HDではなく、極限られた分野でのLDがあるのではないか、ということでした。
「あら。LDですか、、、」
確かに。話の理解は、よくできるんです。計算なんかの作業も速いし、ミスもないんです。
でも。検査の中に、変な答え方をする課題がある。
普段の生活でも、漢字の練習を猛烈に嫌がる。
な~んだ。あれは、子どものせいじゃなくてLDのせいだったのか・・・。
心理の方は、今回の検査でLDとは断定できないけれど、LDかどうかの詳しい検査を受ける価値はありそうだと教えてくれました。
「そういう、漢字の練習とかを何度も何度も繰り返すだけでは覚えられないタイプがあるらしくて、もしもそれなら、どうやったら覚えられやすいか教えてくれるお医者さんもいるらしいんだけど、どう?」
何気なく子どもに訊きましたら、それも構わないよ、と頷いていました。
「じゃぁ、今度お薬もらってる先生に相談してみるね」
AD/HDの診断がついて薬を飲んでほっとしたのも束の間、今度はLDですか。
いえ。別にLDなのは結構なのです。
それより、私にしてみれば、どうしてもっと早いうちに分からなかったかな、と思えてしまうのです。
私が学校の教師だったら、この子には「この分野をどう練習させてもできないので、もしかしたらここの部分だけが不得手なタイプかもしれません」と親御さんに言える位反復をさせていたのですが・・・。
AD/HDなのも、LDなのも学校からは疑われず、ただのお調子者と思われてきただなんて。
「ごめんね・・・」
これからの私にできることは、どうしたら子どもがラクに(無意味な苦痛を伴わずに)生活し学習を進められるか。その方法を探して、伝えることとなりました。